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特急ひだ(ワイドビュー)

JR富山駅(とやまえき)歴史

JR西日本・あいの風とやま鉄道の富山駅は、JR西日本の北陸新幹線および在来線の高山本線、あいの風とやま鉄道のあいの風とやま鉄道線が乗り入れている。あいの風とやま鉄道線は元々は当駅の所属線であった北陸本線の一部であったが[1]、2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線長野駅 – 金沢駅間延伸開業に伴い、あいの風とやま鉄道へ移管された。これに伴い、在来線構内はJR西日本の在来線である高山本線も含め、あいの風とやま鉄道の管轄となった。

1893年(明治26年)2月10日:帝国議会第一回鉄道会議に「敦賀ヨリ福井金沢ヲ経テ富山ニ至ル百二十三哩五十七鎖余」に係る「線路ノ形勢設計ノ概況」が提出され、「富山市船頭町裏字牛島」に当駅の開設が予定される

1899年(明治32年)3月20日:官設鉄道北陸線の高岡駅 – 当駅間の延伸に伴い、一般駅として富山駅が開業する。開始と同時に小荷物の取り扱いを行う。当時構想されていた神通川改良工事の影響を受けない婦負郡桜谷村(現在の神通川西岸、富山市田刈屋及び駒見)に設置された。また同日、同駅において芳川顕正逓信大臣をはじめ、各県両院議員等が参列して開通式を催行する。駅舎、機関車庫、客車庫、転車台及び石炭台等の建造物は、将来の移転計画を見越して仮設工事であった

1901年(明治34年)3月16日:構内に富山電信取扱所を設置し、公衆電報の取り扱いを開始する

1906年(明治39年)12月1日:富山郵便局の電話交換業務開始により、当駅に公衆電話を設置する

1907年(明治40年)1月24日:富山市が当駅敷地として婦負郡愛宕、牛島両町内の地所27017坪を寄附した。この頃の当該敷地は神通川馳越線(はせこしせん)と本流との間に挟まれた中州のようなところであったが、富山市や商工会の推薦により現位置に決定したという

1908年(明治41年)11月3日:当駅 – 小杉駅間に呉羽駅が開業する

1908年(明治41年)11月16日:神通川改良(馳越線)工事の完成(1903年(明治36年))を受け、北陸線の経路を呉羽丘陵西側から変更するとともに馳越線への架橋(現在の高山本線新神通川橋梁)工事を行い、当駅を現在地に移転する。併せて官設鉄道富山線の当駅 – 魚津駅間が開業する。また同日より許可を得て源 (食品製造会社)が、当駅構内営業人となり駅弁の販売を開始する。のちに旧駅の跡地は金沢の工兵第九大隊の演習廠舎が設置された

1909年(明治42年)9月29日:皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が行啓のため当駅に着御する

1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、北陸本線所属駅となる

1912年(明治45年)4月30日:停車場掲示電報を掲示する停車場に指定される

1913年(大正2年)4月1日:当駅 – 直江津駅間竣工につき当駅より臨時列車を出し、関係者を招待して試乗させたが、諒闇中であったので祝賀会は行われなかった

1923年(大正12年)9月4日:関東大震災避難者保護のため、当駅駅前に救護所を設ける

1924年(大正13年)11月10日:皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が行啓のため当駅に着御する

1927年(昭和2年)9月1日:飛越線(後の高山本線)の当駅 – 越中八尾駅間が開業する。また同日、当駅 – 呉羽駅間に田苅屋信号場が開業する。ただし、神通川を渡る当駅 – 田苅屋信号場間は北陸本線と線路を共用する

1927年(昭和2年)12月15日:富岩鉄道の貨物支線として富山駅 – 富山口駅間が開通し、同社の富山駅が開業する。同日より国有鉄道富山駅の共同使用を開始する。ただし、当時は貨物中継のみ。当初から電化されており、架線電圧は直流600Vだった

1928年(昭和3年)6月25日:電動ジブクレーンを設置する

1928年(昭和3年)7月11日:富岩鉄道富山駅 – 富山口駅間において旅客運輸営業を開始し、同日より旅客も国有鉄道富山駅との共同使用を開始する

1933年(昭和8年)3月31日:当駅 – 笹津駅間において省営自動車笹津線の営業を開始し、当駅においては一般運輸営業を開始する

1934年(昭和9年)10月25日:線路名称を改定し、飛越線が高山本線に編入される

1935年(昭和10年)1月17日:富山商工会議所が富山都市計画の完成及び当駅の拡張に関する建議書を、鉄道大臣、名古屋鉄道局長及び金沢運輸事務所長に提出する

1936年(昭和11年)10月1日:富山市西町の宮市大丸百貨店内に当駅派出鉄道案内所を設置する

1937年(昭和12年)10月1日:構内に富山鉄道郵便局を開設する

1938年(昭和13年)5月26日:富山市が当駅 – 日曹工場前駅間の鉄道敷設免許を取得する

1938年(昭和13年)8月24日:富山市営鉄道運河線(貨物線)の富山駅 – 日曹工場前駅(後の奥田駅)間が開業し、富岩鉄道がこれを借受する

1940年(昭和15年)5月6日:当駅 – 日曹工場前駅間の電化が認可される

1941年(昭和16年)12月1日:会社合併に伴い富岩鉄道線を富山電気鉄道が譲受し、また富山市営鉄道運河線を同社が借受して、合せて同社の富岩線とする

1942年(昭和17年)12月7日:1938年(昭和13年)8月富山市に対して免許され、富岩鉄道(後に富山電気鉄道)が借受していた富山市営鉄道運河線(貨物線)の富山駅 – 日曹工場前駅間が、富山電気鉄道に対して譲受される

1943年(昭和18年)2月28日:同日限りを以て省営自動車笹津線を廃止する

1943年(昭和18年)6月1日:富山地方鉄道(旧・富山電気鉄道)富岩線が国有化され、国有鉄道富山港線となる

1944年(昭和19年)5月1日:富山鉄道郵便局を新潟鉄道郵便局に吸収し、その事業を同局に移管する

1945年(昭和20年)3月12日:太平洋戦争下の日本本土空襲激化により、当駅構内に緊急疎開相談所を設置する

1945年(昭和20年)8月1日:富山大空襲により駅舎が全焼する。同年8月3日午前に乗り入れが再開するまで北陸本線上りは東岩瀬駅、下りは呉羽駅にて折返し運転を行う

1945年(昭和20年)12月29日:金沢鉄道管理局が、機関車の石炭不足を理由に各駅に切符の発売制限枚数の厳守を通達。富山駅の発売枚数の上限は1,920枚/日

1946年(昭和21年)8月5日:当駅における闇米取締を発端として朝鮮人による騒擾事件が起る(富山駅前派出所襲撃事件)

1946年(昭和21年)9月15日:同年8月5日の富山駅前派出所襲撃事件等朝鮮人による狼藉に鑑み、同日当駅においてその大々的取締を行う

1946年(昭和21年)10月8日:再び当駅にて闇米の取締を行い、約120石を摘発する

1947年(昭和22年)2月25日:この日の市会で富山駅の移転(現位置より東寄り)問題は三千万円の工費を要するもので、戦災復興に手一杯の市としてはこれに応ずることが出来ないとして移転運動を中止することに満場一致を以て決議した

1947年(昭和22年)11月2日:昭和天皇が同日午前7時50分、当駅より越中八尾駅・猪谷駅方面に向け発車する

1948年(昭和23年)2月13日:当駅 – 呉羽駅間の田苅屋信号場を「田刈屋信号場」と改める

1949年(昭和24年)3月5日:先年12月より着工の待合室が竣工したので落成式を挙行し、同待合室において同月8日まで生花展覧会を行う

1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承

1949年(昭和24年)7月4日:当駅にて国鉄行政整理反対闘争警戒中の警察官が1名負傷、4名を検挙する

1950年(昭和25年)2月21日:金沢鉄道郵便局富山分局を当駅構内に開設する

1952年(昭和27年)1月26日:空襲以来バラック建てであった駅舎を本建築とするため着工し起工式を行う

1952年(昭和27年)10月30日:駅舎の第一期工事を完了し、11月1日より新駅舎において駅務を開始する。2階には「まると百貨店」(富山ステーションデパート)が開業し、3階には物産観光陳列場が開設される。いわゆる民衆駅の方針をとって、民間の利用を広く受け容れた

1952年(昭和27年)12月1日:当駅構内の無線基地局に対して無線局免許状が与えられる

1953年(昭和28年)10月10日:同月9日に駅舎の第二期工事が完了したので、国鉄及び富山市主催の落成式を挙行する。第一期及び第二期工事の総工費は1億4千万円であった[21]。施工者は岐阜工事事務所

1953年(昭和28年)この年、富山駅前にてロータリー交通方式が採用された

1954年(昭和29年)1月28日:旧計量法第173条に基き、当駅を計量器使用事業場に指定する

1954年(昭和29年)7月22日:旧計量法第173条に基き、当駅構内の金沢鉄道郵便局富山分局を計量器使用事業場に指定する

1954年(昭和29年)4月20日:同年2月4日より着工の当駅跨線橋が完成する。総工費は376万4千円であった

1955年(昭和30年)10月1日:当駅 – 東富山駅間に所在の富山操車場の一部使用を開始する

1956年(昭和31年)11月10日:当駅 – 東富山駅間の富山操車場の第一期工事を完了し、当駅 – 富山操車場(現在の富山貨物駅)間が複線化する。同日午前9時35分上り青森発大阪行機関車先頭に「祝富山操車場完成」の紀念幕を掲げて新線を走らせた

1956年(昭和31年)11月19日:当駅 – 呉羽駅間の田刈屋信号場を廃止する

1958年(昭和33年)3月1日:高山本線において準急「ひだ号」の運転を開始し、当駅 – 名古屋駅間を約5時間で結ぶこととなった

1958年(昭和33年)10月16日:当駅北口が完成し、同日より出改札の業務を開始する

1958年(昭和33年)10月18日:昭和天皇が第13回国民体育大会親臨のため、香淳皇后と共に当駅に着御する

1959年(昭和34年)4月17日:同日午前9時30分富山駅着下り直江津駅行において当駅 – 金沢駅間に初めてディーゼル機関車の試運転を行い、同日より当駅 – 大阪駅間を1日2往復することとなった

1959年(昭和34年)5月13日:新神通川橋梁建設工事のため、材料運搬線を構内に敷設し試運転を行う

1959年(昭和34年)11月16日:当駅 – 呉羽駅間に北陸本線専用の新神通川橋梁が完成し、(旧)新神通川橋梁は高山本線専用となる

1960年(昭和35年)2月24日:当駅 – 奥田駅間の電気運転を廃止する

1960年(昭和35年)5月25日:同日午前1時40分頃、当駅前百貨店中の食料品店より出火があり、須田ビルはじめ軒並みの商店等14戸3棟を全焼、7戸3棟を半焼する

1960年(昭和35年)5月31日:当駅 – 呉羽駅間が複線化される

1960年(昭和35年)7月1日:当駅待合室内に観光案内所を設置する

1960年(昭和35年)8月6日:当駅改良工事を完了し、同日より新設のホーム等の使用を開始する

1960年(昭和35年)11月4日:新しいホームの屋根が完成する

1960年(昭和35年)11月19日:地下道幅員拡張工事が完了し、荷物用跨線橋及びエレベーターが竣工する

1960年(昭和35年)12月27日:輸送本部室の新庁舎建設工事を開始する

1961年(昭和36年)2月27日:自動信号への改良工事が完了し、継電連動装置を導入する

1961年(昭和36年)5月18日:輸送本部室が完成し、旧輸送本部室跡地は庭園となる

1961年(昭和36年)10月18日:第20回全日本産業安全大会への台臨のため行啓中の皇太子明仁親王及び皇太子妃美智子が、当駅より特別急行「白鳥」にて東京へ還啓する

1962年(昭和37年)4月7日:貨物ホームが完成する

1964年(昭和39年)10月1日:北陸本線のうち、当駅を含む金沢駅 – 富山操車場間が電化(交流20,000V・60Hz)、当駅 – 大阪駅間の電化が成る

1964年(昭和39年)12月25日:北陸・関西間の特別急行「雷鳥」及び北陸・中京間の特別急行「しらさぎ」の営業運転を開始し、同日午後当駅において発車式を行う

1965年(昭和40年)7月30日:当駅 – 東富山駅間の複線化工事を完了し、同日午前9時40分より開通する

1965年(昭和40年)9月24日:みどりの窓口を開設する

1966年(昭和41年)7月1日:富山ステーションデパート新装開店

1966年(昭和41年)10月6日:神岡線開通、当駅 – 神岡駅間が全通する

1967年(昭和42年)3月30日:富山港線の架線電圧を直流1,500Vに昇圧する

1969年(昭和44年)5月27日:第二十回全国植樹祭親臨のため富山県行幸中の昭和天皇が当駅に着御する

1970年(昭和45年)3月26日:当駅前南口地下道完成、市長、駅長等出席して開通式を行う

1970年(昭和45年)6月5日:当駅にて貨車入替作業に用いていた蒸気機関車が引退するに伴い、その「お別れ式」を行う

1970年(昭和45年)7月15日:当駅構内配線を変更し、国鉄列車急行「立山」及び急行「むろどう」、また名古屋鉄道急行「北アルプス」の富山地方鉄道線乗入れを開始する

1971年(昭和46年)4月26日:当駅 – 福井間に特別快速列車が設定される

1972年(昭和47年)1月28日:当駅と岡山駅が姉妹駅となり、同日その調印式を行う

1972年(昭和47年)5月22日:地下歩道の工事が始まる

1973年(昭和48年):駅北口と正面を繋ぐ地下歩道(同年より建設)が開通

1974年(昭和49年)10月1日:営業範囲を改正し、旅客、荷物及び貨物を扱うものとする

1975年(昭和50年):富山市が富山駅周辺整備基本計画を策定。この計画では新駅舎は地上5階地下1階建て、ターミナルビルは地上7階地下1階建てで、地下に地鉄コンコース、1階にバス発着場、2階に在来線と地鉄のコンコース、5階に北陸新幹線ホームを置き、さらに新幹線ホームの屋上に駐車場を完備するという大掛かりなものであった

1976年(昭和51年)2月13日:第31回国民体育大会冬季大会への台臨のため、皇太子明仁親王及び皇太子妃美智子が当駅に着御する

1979年(昭和54年)3月10日:当駅駅舎本屋改築工事が完了する

1982年(昭和57年)3月30日:日本鉄道建設公団富山新幹線準備事務所が富山県内の新幹線通過ルートおよび停車駅を黒部、富山、高岡にすることを発表

1982年(昭和57年)11月7日:商業ビル建設のため、当駅東側の国鉄宿舎を撤去する

1984年(昭和59年)2月1日
当駅構内の金沢鉄道郵便局富山分局を廃止す
当駅 – 奥田駅間を廃止する

1985年(昭和60年)3月14日:従前の立山駅終着を改め、新名古屋駅発名古屋鉄道特別急行「北アルプス」が当駅止まりとなる

1985年(昭和60年)8月1日:当駅構内において国鉄直営販売店「さんくす」の営業を開始する

1985年(昭和60年)11月28日:当駅駅前に立体駐車場が完成する

1986年(昭和61年)3月16日:当駅において北陸新幹線周辺環境整備事業の起工式を挙行する

1986年(昭和61年)11月1日:営業範囲を改正し、荷物(新聞紙を除く)の取り扱いを廃止する

1987年(昭和62年)3月14日:当駅駅舎2階待合室が完成する

1987年(昭和62年)3月31日:営業範囲を改正し、取扱荷物を「荷物(新聞紙に限る)」から「荷物(特約荷物に限る)」に改める

1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承される。日本貨物鉄道(JR貨物)の駅は、車扱貨物及びコンテナ貨物を取り扱う

1987年(昭和62年)9月12日:富山ターミナルビル「マリエとやま」が開業する

1987年(昭和62年)12月25日:富山駅前のロータリー交通方式を廃止し、同日より三点交差式に変更された

1988年(昭和63年)2月5日:駅長室を改装する

1988年(昭和63年)3月17日:便所を移転し、改装する

1988年(昭和63年)7月10日:駅舎外壁を改修する

1988年(昭和63年)7月15日:コンコース及び待合室を改装する

1988年(昭和63年)7月16日:富山ステーションデパートが改装開店する

1989年(平成元年)2月2日:当駅北口再開発事業「とやま都市MIRAI事業」に必要な旧国鉄用地の商業施設化が、日本国有鉄道清算事業団新潟資産管理部の諒承を受ける

1989年(平成元年)6月22日:JR富山駅と電鉄富山駅の間を結ぶ連結アーケード(全長49.5m、幅3.1m、ライトグレー色。1989年3月末からJR西日本、富山地方鉄道、富山ターミナルビルが共同で建設していた)が完成

1989年(平成元年)10月14日:発車ベルの騒音による近隣住民の苦情を受け、地元民謡の『こきりこ節』のピアノ伴奏を用いた発車メロディー・列車到着メロディの運用を開始するが、駅利用者からは不評だった

1989年(平成元年)12月20日:当駅駅前に自転車駐輪場を設置する

1990年(平成2年)3月10日:富山貨物駅に貨物駅の業務を移管し、JR貨物の駅(当駅での貨物の取り扱い)が廃止される

1990年(平成2年)4月10日:JR西日本子会社たるハートアンドアクションフーズがハチバンとフランチャイズ契約を締結し、当駅構内に飲食店を開業する

1990年(平成2年)7月21日:JR西日本が富山地方鉄道線直通特別急行「リゾート立山」の運転を開始し、再び当駅構内に連絡線を敷設する。大阪駅発午前8時25分富山駅着午後0時6分特別急行「雷鳥15号」及び富山駅発午後3時大阪駅着午後7時8分の「雷鳥38号」にキハ65形気動車を2輌連結し、富山地方鉄道線内においてはキハ65形気動車が自走する

1990年(平成2年)8月12日:富山市が富山駅を南北に結ぶ<地下通路と地下歩道の建設方針を固める。この時点の駅南北地下道の幅員は6~4mであった

1991年(平成3年)12月27日:当駅より当駅駅前再開発ビル(現:富山ステーションフロントCiC)を連絡する地下道を、当駅北口連絡地下道と接続し使用を開始する

1992年(平成4年)3月24日:日本国有鉄道清算事業団の用地整備事業のため、旧富山港線ホームを解体し、新富山港線ホームの使用を開始する

1993年(平成5年)7月20日 – 12月24日:富山駅地下道の改修工事を実施

1994年(平成6年)10月28日:当駅構内にコンビニエンスストアハートインが開業する

1995年(平成7年)4月20日:特別急行「サンダーバード」の運行を開始し、始発駅たる当駅においてその記念式典を行う

1995年(平成7年)4月21日:運輸省(現・国土交通省)が北陸新幹線富山駅暫定整備計画を決定し、日本鉄道建設公団にその建設を指示する

1995年(平成7年)4月28日:運輸省が日本鉄道建設公団の当駅駅舎工事実施計画を認可する

1995年(平成7年)5月25日:日本鉄道建設公団が北陸新幹線富山駅の測量及び設計を開始し、北陸新幹線整備調整事業起工式を挙行する

1995年(平成7年)8月24日:日本鉄道建設公団、北陸新幹線富山駅建設に向け地質調査に着手する

1996年(平成8年)7月1日:当駅北側の「アーバンプレイス」ビルが開業する

1997年(平成9年)2月28日:当駅を高架化して南北を一体化し、地上及び地下の歩道により連絡できるように「複断面方式」とする基本計画を、第三回富山駅周辺地区南北一体的なまちづくり基本計画策定調査委員会が決定する

1997年(平成9年)3月:名古屋鉄道の直通特急「北アルプス」の乗り入れを中止(高山駅止まりとなる)

1997年(平成9年)10月1日:当駅北口にみどりの窓口を開設する

1998年(平成10年)7月14日:富山県都市計画地方審議会により、富山駅北口の地下広場建設を承認

1998年(平成10年)10月28日:富山市とJR西日本が1999年末までに北口の新駅舎を建設することで合意

1998年(平成10年)12月19日:当駅南口駅舎2階にレンタルビデオ店が開業する

1999年(平成11年)3月:北口駅舎建て替えの為、仮駅舎を建設、旧北口駅舎は取り壊される

1999年(平成11年)4月10日:当駅開業100周年紀念式典を挙行する

1999年(平成11年)10月8日:南口エレベーター工事の起工式が挙行

1999年(平成11年)12月4日:同年7月より第55回国民体育大会に向けて建設中であった当駅北口駅舎が新築竣工する

2000年(平成12年)1月12日:列車の発車時刻等を表示する電光掲示板を設置する

2000年(平成12年)1月22日:同年2月8日からの北陸本線列車集中制御装置導入に伴い、『こきりこ節』の列車到着・発車メロディーの使用を取りやめ、試験的にこれを電子メロディへ変更する

2000年(平成12年)1月30日:第55回国民体育大会に向け、当駅南口駅舎待合室を改装する。改札室をホーム側に移設新築し、1階西側の待合室を400m2に広げ、8つの店舗を1箇所に集約した

2000年(平成12年)2月8日:北陸本線列車集中制御装置導入に伴い、正式に北陸本線標準電子メロディを発車合図として使用開始する

2000年(平成12年)2月11日:富山ステーションデパートをとやま駅特選館に名称変更し、改装開店する

2000年(平成12年)4月28日:北口に黒川雅之がデザインした『風と光の塔』(高さ21m)が完成

2000年(平成12年)7月26日:北口の地下道および地下広場などが完成

2001年(平成13年)5月27日:当駅南口広場にて北陸新幹線上越 – 富山間の起工式を挙行する

2002年(平成14年)1月2日:在来線高架化を連続立体交差とする方針を固める

2002年(平成14年)8月28日:国土交通省の概算要求により、富山駅連続立体交差を新規調査に盛り込む

2003年(平成15年)2月23日:富山駅周辺連続立体交差事業促進期成同盟会が発足する

2005年(平成17年)3月8日:富山市が高架化工事完成後の当駅の完成予想図を示す

2005年(平成17年)6月27日:富山駅周辺立体交叉事業が国土交通省によって認可される

2005年(平成17年)10月6日:北陸新幹線の着工に伴う高架化工事が開始される

2006年(平成18年)3月1日:JR西日本が富山港線を廃止し、再開業まで廃止代替バスが運行される

2007年(平成19年)3月18日:北口仮駅舎の使用を開始する

2007年(平成19年)10月11日:当駅構内にインターネットカフェ「@カフェサンダーバード」が開業する

2008年(平成20年)10月20日:JRの下りホームが仮設ホームに切り替えられ、同時に地下通路が廃止される

2010年(平成22年)4月19日:JRの上りホームが仮設ホームに切り替えられ、南口仮駅舎での営業を開始する

2010年(平成22年)5月30日:北陸新幹線富山駅の駅舎建設に着工し安全祈願祭を挙行する

2011年(平成23年)5月22日:富山駅付近連続立体交叉事業に係る起工式及び安全祈願祭を挙行する

2011年(平成23年)11月30日:旧駅舎構内において営業していたとやま駅特選館等の商業施設が閉店する

2011年(平成23年)12月8日:同日よりとやま駅特選館が南口仮駅舎横の仮店舗にて営業を開始する

2012年(平成24年)5月14日:旧南口駅舎の解体に着手する

2012年(平成24年)11月17日:北陸新幹線開業後に使用される新駅舎の着工を開始

2015年(平成27年)3月13日:とやま駅特選館が閉店する

2015年(平成27年)3月14日:北陸新幹線の長野駅 – 金沢駅間延伸開業に伴い、新幹線富山駅が開業。また北陸本線のあいの風とやま鉄道への移管に伴い、在来線富山駅を同社へ移管。同日より南口仮駅舎を閉鎖し、新駅舎の使用を開始する。
これに伴い、構内の郵便差出箱を撤去し、郵便差出箱上に設置されていた売薬像を富山県薬業会館に移設する。また、当駅構内に商業施設「とやマルシェ」及び「クラルテ」が開業する

2015年(平成27年)3月26日:あいの風とやま鉄道の駅でICカード「ICOCA」の利用が可能となる

2015年(平成27年)4月20日:あいの風とやま鉄道上り線とJR高山本線ホーム(1 – 3番)が、高架に切り替えられると共に、2階(中2階)改札口(新幹線連絡口)が使用を開始

2015年(平成27年)10月25日:天皇が第35回全国豊かな海づくり大会出席のため、皇后と共に富山駅を着御する

2016年(平成28年)2月19日:北口にみどりの券売機が設置される

2016年(平成28年)2月27日:ICOCA定期券の販売また利用を開始する

2017年(平成29年)3月13日:あいの風とやま鉄道線ホームにおいて、『ふるさとの空』を接近メロディ、『四季』を発車メロディとして導入

2019年(平成31年・令和元年)3月4日:あいの風とやま鉄道線下り線ホームの高架化が完了し、南北別々にあった改札口を駅構内の新設の改札口に一本化する

2019年(平成31年・令和元年)4月21日:駅の南北を繋ぐ仮設の自由通路を設置

2019年(平成31年・令和元年)10月上旬:南北自由通路を拡大

2020年(令和2年)3月21日:路面電車の南北接続および、自由通路完成

2022年(令和4年)3月18日:商業施設「MAROOT」が開業